Episode.1 鍼灸師という長い航海の始まり
①なぜ鍼灸師を志したか?
私が鍼灸師を志し、
治療家になるという長い旅立ちを決心した
きっかけになるエピソードを紹介させてください。
その旅の出発点は幼い頃の記憶です。
今はもう亡くなっていますが私の父方の祖父は若いとき海軍飛行隊の士官、いわゆるゼロ戦乗りでした。
当時の海軍士官といえば、制服が真っ白で陽の光に照らされると、その白さが際立ち、それはもうキレイの一言で、周囲の憧れの存在だった様です。
その真っ白い制服に子どもを抱っこして
制服が汚れたら一大事(意味もなく汚すと営倉(懲罰房)入りらしいです)という周囲の心配をよそに「大丈夫、大丈夫」と言うやさしく、 カッコのいい人でした。
三鷹にある祖父の家に遊びに行くと
初孫だったので一緒に遊んでくれるのはもちろん
一緒にテレビを見たり、節句の兜をプレゼントしてくれたりと可愛がってくれました。
私の記憶にかすかに残っている程度ですが、大好きなおじいちゃんでした。
病に倒れた祖父
しかし戦中の命をかけた戦いを潜り抜けた尋常でない肉体的・精神的負担か。
戦後の復興期を駆け抜けた高度成長のサラリーマンに代表されるムチャな働き方か。
毎週末に会社の人たちを招いての大マージャン大会か。
どれがたたったのかわかりませんが、しばらくして祖父は脳卒中に倒れました。
自宅療養のリハビリで動かない手や足を懸命に動かそうとしていました。その疲れを取るためや、関節が固まらないように家に鍼灸のおばあちゃん先生を呼んで鍼や灸をしてもらっていました。
しかし薬石効無く、祖父は 57 歳と言う若さでこの世を旅立ちました。
私はまだ幼かったですが、鍼やお灸をしてもらい一時でも苦痛から解放されて安心し、とっても気持ちよさそうだった祖父の姿を心のどこかで覚えています。
そのとき、おぼろげながら「人を癒す」ということに強い興味を持ったのでした。
②時は流れ4歳の時。
私の父親は団塊の世代の最後の方、いわゆるモーレツサラリーマン世代です。
午前様は当たり前、3日4日の徹夜もザラというカラダが悲鳴を上げるのも当然の働き方をしていました。
そんな父を心配して母が週に1回、指圧のおばさん先生を
呼んで治療をしてもらっていました。
子どもからすると家に知らない人が来て、お父さんとふすまの向こうで何かオモロそうなことをしてる・・・という状況は好奇心が抑えられるわけないでしょ?
私もこの例に漏れず、気になって半分ふすまを開けては目だけだしてはその様子を見ていました。
すると、おばさん先生が「静かに座っていれるなら、横で見といていいよ。」といってくれたんです。
そのときからおばさん先生が来る日が楽しみでたまらなくなりました。
そして見よう見まねで父親や母親の肩揉みを始めたんですね。この通り、至極単純な人間なので「うまいうまい」とおだてられて、 調子に乗って肩を揉むのも大好きになっていました。
ある日、おばさん先生に「どうやったらきもちよくもめるの?」と質問したところ 「自分が気持ちいいと思う所を揉んであげたら、他人も気持ちいいもんよ」と教えてくれました。
遠い記憶ですが、「へぇー、なるほど!」と思ったのをよく憶えています。
今思うと、この2つの記憶が私に「出張専門で開業する!」 と決めさせたようです。
③そしてまた時は流れ、高校2年生のとき。
大学受験を控えこれからどうするか?
自分の人生を初めて考える時期になり、進路について無い頭を振り絞ってあれこれ悩んでいるときに受けた河○塾の全○模試。
この試験ではエントリーシートに志望校を
第4志望まで書くのですが、関西の男子高校生の
悲しい宿命でしょうか。
こんなときでも「笑いをとらんとアカン」という習性があり、試験問題はそっちのけで、おもろい学校を探すのに熱中しました。
通例では第4志望欄はだいたい「東大文1」とか「慶応医学部」という不可能なところや面白いことを書くのですがアマノジャクな私は「普通のところはおもろないわ」と一生懸命ヘンな学校を探していました。すると・・・
④偶然は必然
読めない漢字がついている学校があるじゃないですか!
「これはおもろいわ!」と 急いで受験シートに書き写しました。でもね、その読めない漢字が妙に心に引っかかったんですよ。
そこでレシートの裏の端っこにその字をメモっときました。そして、自宅に帰ってから調べてみたん です。
パラパラーっと漢和辞典をめくり
「金偏に感動の感の下の心の無いやつ・・・」と。
変な漢字ですよね。そしたら、ありました。
それがなんと「鍼灸」の「鍼(はり)」の字だったんです。
「へー、鍼と灸の学校やったんや。ふーん。で、鍼灸ってなに?」 と同時に思いました。思い立ったら、即行動。
次の日の学校の帰りに調べに行きました、いわゆる立ち読みで。
買うのもったいないですからね(笑)。するとありました、鍼灸のページが。
⑤歴史オタクにはたまらん内容
ちなみに話は飛びますが、ぼくは今でも自他共に認める「歴史オタク」です。
とくに中国の古代の歴史が大好きで、その好きさたるや小学校一年生くらいから父親の書棚にポイっとしてあった
P○P文庫の「ビジネスに活かす孫子の兵法」とか「部下を操る韓非子」などのビジネス古典の書籍に興味を持ち、その他の兵法書を片っ端から読み漁ったくらいです。
しかも簡単なものでは満足できなくなり難しいのまで読むようになり、「文章も書き下し文はダサい」と感じ白文(原文)で読むようになりました。
そして、読み方やその文の解釈を国語の先生に質問してめっちゃ煙たがられるという困った児童になっていました。
今考えると、その頃からもう「中国に渡る!」と決めていたのかもしれません。
(母親は「この子のアタマ大丈夫かしら」と 本気で心配していたそうです (最近知って、けっこうショックでしたけどね(笑))。
⑥運命の出会いは突然に
そんな歴史オタクの高校2年の私が見た内容とは・・・
鍼灸とは中国の古代哲学「陰陽(いんよう)五行(ごぎょう)論」を使い、鍼や灸・手を使ってツボを使い病気を治して困っている人を助けていく技術である!
という内容でした。
まさに中華3000年の真髄!
今思うと歴史のコーナーに置いてあるような、特殊な本だったと思うのですが
こんな中国の歴史がとっても好きなぼくです。
一目見ただけで「これオモロそうやん」と心の中でつぶやいた、まさにその時です。
思い出しました。
無意識の記憶の奥の奥のほうにあった、子ども心に見ていた気持ちよさそうにしていた祖父の様子と施術していた鍼灸師の先生の姿。
そして父親の疲れをとってくれていたおばさん先生との記憶を。
その瞬間、熱い何かがお腹の下から頭のてっぺんに「ぐわーっと」したうねりと頭上から「ズドーン!」と背骨へ稲妻が同時に走りました。
それは
「自分の大切な人が困っているときや苦しんでいるときに何かしてあげたい!」
「自分はその手段がほしい!」
という想いでした。
「これや!これが僕のしたいことなんや!」と
心の中で叫んでました。
こうしてわたしは自分の人生をかけて歩む道、わたしのいのちを使うべきわたしだけの「使命」に巡り会うことができました。
これが私が鍼灸師を志した理由と想いのすべてです。
あなたが使命を見つけ果たすために、あなたの力を100%発揮しなくてはいけません。
私にはそのお手伝いができます。ぜひわたしにそのお手伝いをさせて下さい。